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青空治療院
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絶望から希望へ No.4

 うつ病の話

 義母は入院してから1年で奇跡的な回復し、退院して通院に切り替えることができました。

 私はそんな結婚生活の実状を家族や周りの人に言うことはありませんでした。少し話すだけで周りから「可哀想に」とか「そんなところに嫁に行っているのね」などと同情されるからです。

 神経の弱い私がギリギリのところで踏ん張っているのです。その同情の言葉を聞いたならきっと緊張の糸が切れることでしょう。それが怖かった・・・。

 

 そんなギリギリの毎日ですが、唯一話せる場所はブログでした。一日を振り返り自分の気持ちを話すことによって発散し、気持ちのコントロールをしていました。

 すると、励ましのコメントをたくさん頂くようになりました。また、「読んで勇気を貰いました」とか「頑張ります」等の感想も数多くいただきました。それらが私を生き続けさせてくれたのでした。

 

 私は最初の結婚のとき、年下の旦那に頼ることができませんでした。私が長女で頼り方を知らなかったせいだと思います。そんな生活の中、いろんなことが分かりはじめてきました。

 実は義母がうつ病になる前に、義父(ちち)がうつ病になっていたということです。

 うつ病の義父は、長年義母や子供たちに暴力や暴言を繰り返ししていたそうです。それはすさまじかったそうです。

 

 どうして義父はそうなってしまったのか?

 義父が言うには「(義父の)母はずっと病気で入退院を繰り返し、父や兄たちは協力的ではなかったので、俺がずーっと母の側にいて看病していた。それで好きなことが出来ず、入りたかった学校も入れず、全てに我慢して過ごしてきた」とのことです。

 うつ病や家庭内暴力の原因は、おそらく自分の殻に閉じこもったままに大人になったからなのではないかと思います。

 

 一方でクリスチャンだった義母は、両親に愛されすぎるほど愛されて育ちました。正反対の環境で育った二人は、ぶつかることが多く喧嘩も絶えなかったそうです。

 この二人に育てられた旦那は、優しい反面、怒ると暴言を吐き、嫌なことがあれば八つ当たりをする二面性がありました。

 

 結婚当初は「旦那を幸せにするためには、この家族を幸せにしなければ・・・」という思いがありましたが、少しずつその思いも薄れていきました。

 そして私は子供を作ることを諦めました。子供が産まれたら、その子もまた同じ道をたどると強く思ったからでした。

 

 そんなとき、実家の母が倒れ入院しました。腰の病気で大きな手術をすることとなりました。

 私は家に帰って母の看病をずーっとしたいと思いました。しかし旦那は「嫁いだのだから、実家の家族はもう家族じゃ無いんだし、妹たちがいるんだから任せておけばいいんだ」と言いました。

 その言葉を聞いて今まで頑張ってきた糸が切れ、離婚の二字が頭をよぎりました。

                             

うつ病の話つづき

 義母が退院して元気になったことはとてもうれしく思った。でも義母の世話は私に頼りきりだった。旦那は私に対する態度は何も変わらなかった。

 会社から帰ると仕事の愚痴、八つ当たり、私の実家の家族と仲良くすることもなかった。むしろ悪口の連続だった。結婚した時のきもちはどんどんうすれていった。

 

 私はこの人と幸せになるために結婚したのに、何も幸せを感じない。幸せを見つけようとしているけど虚しい気持ちがずっと心の中にあった。一緒にいるのにとても孤独だった。

 

 そんな気持ちでいることを話して向き合おうとした。すると旦那はそのたびにこう言った。「そんなの仕方ないだろ!あんな家族で育ったのだから親が悪いんだ!!」と。

 いつからこうなってしまったんだろう?話せば余計に虚しくなった。

 この家族は私がいなければ元の悪夢のような生活に戻るだろう、しかし、自分の本当の心を抑えては生きてはいけないという深刻な葛藤がありました。

 

 このままでは前に進めない、私はしあわせになることはできない。そして離婚届を取りに行き、荷物をまとめて実家に帰った。

 私は今日まで実家の両親に心配させまいとあまり話していなかったので、帰ってきた姿、心身ともボロボロになっているのを見て家族は大変驚いた。

 旦那や義父は何度も連れ戻そうと実家に来たが、そのたびに両親が私を守ってくれました。

 

 私は、自分を抑えた来た生活と離婚した罪悪感とで思考能力が無くなりずっと寝込

でいました。気持ちのコントロールができなくなり笑うことも忘れました。

 そして家族の気遣いもまた心を締め付けた。

 「迷惑をかけた。心配かけてごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 毎日そん日々を過ごした。

 

 離婚をして半年経ったある日、私の携帯にメールが届いた。

 ブログをしていたときに仲良くさせていただいた人からだった。

 “元気にしているかな”の言葉とダイヤモンド富士の写真が添付されていた。

 私は、その人に少しずつ自分の気持ちを話すようになった。

 私は話す度に、自分の思いに気づき、少しずつ自分を取り戻していった。心が温かくなる感覚になった。

                                   感謝

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