そら
青空治療院
お問い合わせ

Tel 042-649-2323 (予約優先)

月~土 9:30 - 19:30 (受付時間)

祝       9:30 - 18:00 (受付時間)

日曜定休

​アクセス

〒192-0083 八王子旭町8-10 比留間ビル5F

​八王子駅北口から徒歩3分

Please reload

私に必要だった試練

 母親との関係

 今、自身が50代を前に振り返ってみると、長きに渡り母親の関係に悩んでいたのかもしれません。

 

 私の家庭はごく一般的な家族4名の家庭です。昭和の時代によくある亭主関白な父と、その父を立て家庭を守るはは、そして姉妹2人。

 両親は、家族を大事にし、私達からすれば不自由なく過ごせたことは本当にありがたいことだと思います。

 

 ただ、それでも私は母の言動で傷つくことが多く、悩みました。

 私や妹が何かをしようとすると、必ず最初に否定や反対をしたことです。

 「お母さん、~したいのだけど、やってもいい?」、「~が欲しからお小遣いで買ってもいい?」など、内容は些細なことから、大事なことまでいろいろ。

 それに対して母から返ってくる第一声は「え?止めなさい」、「え?なんでそんなことをするの?」、「え?そんな分からないことやってはいけません」と・・・。

 そしてその後、逆に「~しなさい」とか「お姉ちゃんなんだから、がまんしなさい」という一言が続きました。

 

 もちろん親にしてみれば、お小遣いの使い方が荒かったり、無鉄砲なことや危ないことをするように見えたので、反対されても当然のことの方が多かったのかも知れません。

 ただ、「何故、だめなの?」と聞いても、きちんと納得のいくような説明が無く「ダメなものはダメ」、「お姉ちゃんだからがまんしなさい」と。しまいには「~しなさい」ばかりです。

 きっと母は、否定しているつもりもなく、自分の意見を押しつけている気など全く無かったと思います。

 

 けれども、私としては、母に否定されてばかりなので「えっ?」と言われることが怖くて仕方ありませんでした。

 自分のすることに対してダメ出しばかりなので自信はもてなくなるし、母の顔色ばかり見ていました。

 

 何度も喧嘩をしましたが、母には理解できないらしく聞き入れません。

 私は言うのも嫌になり、思春期に入る頃には、母には余計なことは話さないようになり、自分の気持ちは心に閉じ込め、なんでも隠すようになっていました。

 

 時々テレビで、親には何でも話すという母娘を見かけます。学校のこと、友達のこと、好きな人のことetc. 私からすればとても信じられません。

 

 我慢することに慣れた私は社会人となり、自分の責任で何でもできるようになったにもかかわらず、自己変革することもなく、楽な方を選択するようになりました。

 たとえば親元を離れるなり、どんどん外に出て行くことをしませんでした。

 

 若かったころは家事を全くしなかった私でしたが、父が他界し、そのあと少しずつ私が家のことをするようになりました。

 そして、私は物が壊れて買い換えしなければならない時や、新製品の説明書を読んでいて気がつきました。それはたとえ便利な物であっても、新しい物や分からない物に対しては過剰に怖がっている自分がいたのでした。

 

 そんな時、ふと頭に浮かんだのです、母がかつていろいろ否定したのは、怖かったからなんだ・・・。

 自分の知らないことや理解できないことを子供たちが言うのが怖くて拒否反応していたのかな・・・と。

 

 母は40~50代の時、体調の変化大きく辛いときが多かったと思います。亭主関白でわがままな父を世話し、言うことの聞かない娘たちを育て、そして家事のみならずパートをもしていました。母は、精一杯な毎日にこれ以上新しいことが入るのはとうてい耐えられない心理状態だったと思います。

  母は1人で頑張っていたんだなと思えたとき、母を少し受け入れることができました。

 

 長年にわたって私が溜め込んで悩んだ思いは、癒えることはまだできませんが「しょうがないのか」と思えるようになったら私の気持ちもだいぶ楽になりました。

 

 今「何故まだ癒えることが無いのか・・・」と感じたとき、私の試練はここからだと思いました。

                                  感謝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Facebook でシェア
Twitter でシェア
Please reload

RECENT POSTS

Please reload

ARCHIVE