自分がいじめられた時の行動を思い直してみました。すると、私は自らいじめられに相手に近づいたことに思い当たりました。
先輩から呼び出しを食って行かなければいいものを、ノコノコといじめられるのを分かっていて出かけて行っていました。
それには恐怖心とかが付いていて、行かなくてはいけないように自分を追い込んでいる感じでした。自分でそうなるように自分を仕向けていました。
それなのに私は「謝らせられた、土下座させられた、殴られた、蹴られた」と言って被害者になっていました。
被害者になるのはとても簡単です。「ごめんなさい」をたくさん言い過ぎればそれで自分を被害者にできます。事実私はそうでした。
また、反省の途中、どうしても自分の悪い所を見切れずに「私は嫌な奴だ」で止まっていれば、可哀想な自分を演出できます。
そういう点では被害者は卑怯者だと思いました。
この瞑想講座を受けてから、自分の悪い所を少しずつだけでいいから見て、認めていこうとすると、日々少しずつ免疫ができてきて、見ることになれてきて、いつか見極められることがわかりました。
継続する力はすごいことに気づきました。
これは私にとってとても嬉しいことで、誰でもできること私でも出来ることだと思いました。
そして、ちゃんと過去を見ることができれば、止まっていた時間がいつか動き出す。その日を待とうと思います。
最後に、「自然」は「許しの世界}につながっているように感じました。
4年前の寒い冬の季節、あとは離婚するだけという時、悲しくてどうしようもない中、飼い犬のりゅうのすけと散歩をしていた時、こんなに寒いのに木々には春のための芽がついていて、少しずつ少しずつふくらんでいました。
それを見てどれだけ勇気と希望をもらったかわかりません。
こんな私にさえ、ただそこにいて勇気と希望を与えてくれる存在があるということにとても感動しました。
季節もちょうど今頃で「世界は美しい」と言ったとき、横にあった桜の木の芽を見て思い出しました。
ありがとうございました。
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